(台東 18日 中央社)東部・台東県成功鎮に日本統治時代から残る木造2階建ての住宅「菅宮勝太郎宅」(現・新港教会会館)について、文化部(文化省)は修復にかかる総工費の約8割に当たる補助金交付を承認した。5年前の台風で屋根などが破損し、修復が待たれていた。同県選出の劉櫂豪立法委員(国会議員)が17日、自身のフェイスブックで伝えた。劉氏は、当時の建築工法で丁寧に修復し、観光地としての価値を付与したいと期待を示した。
菅宮勝太郎(1883〜1943年)は新港(成功鎮の旧名)の官吏だった人物。文化部の資料によると、新港を第二の故郷として愛し、転勤命令を断って辞職。1930年代に同地に自宅を建て、亡くなるまでそこで暮らした。生前は漁港や道路の建設に尽力し、地元の発展に貢献したという。建物は戦後、キリスト教の礼拝所を兼ねた診療所となり、90年代後期に診療所が閉鎖されたのに伴い、教団の所有となった。現在は信者の集会・宿泊所として使われている。修理された屋根と戦後に増設された待合室以外は当時の姿をとどめる。2階建ての日本家屋は東部では珍しく、2003年に「新港教会会館」の名称で台東県の歴史建築に登録された。
劉氏によると、建物は14年に東部に上陸した台風による被害で著しく破損し、水漏れなどが確認されていた。保存・再利用を目指すボランティアが応急措置を施したものの、本格的な修復には総経費約2300万台湾元(約8000万円)が必要と見積もられていたという。
(盧太城/編集:塚越西穂)
http://japan.cna.com.tw/news/atra/201909180006.aspx
中央社フォーカス台湾 2019/09/18 15:29
日本人官吏の邸宅だった新港教会会館=劉櫂豪服務処提供
菅宮勝太郎(1883〜1943年)は新港(成功鎮の旧名)の官吏だった人物。文化部の資料によると、新港を第二の故郷として愛し、転勤命令を断って辞職。1930年代に同地に自宅を建て、亡くなるまでそこで暮らした。生前は漁港や道路の建設に尽力し、地元の発展に貢献したという。建物は戦後、キリスト教の礼拝所を兼ねた診療所となり、90年代後期に診療所が閉鎖されたのに伴い、教団の所有となった。現在は信者の集会・宿泊所として使われている。修理された屋根と戦後に増設された待合室以外は当時の姿をとどめる。2階建ての日本家屋は東部では珍しく、2003年に「新港教会会館」の名称で台東県の歴史建築に登録された。
劉氏によると、建物は14年に東部に上陸した台風による被害で著しく破損し、水漏れなどが確認されていた。保存・再利用を目指すボランティアが応急措置を施したものの、本格的な修復には総経費約2300万台湾元(約8000万円)が必要と見積もられていたという。
(盧太城/編集:塚越西穂)
http://japan.cna.com.tw/news/atra/201909180006.aspx
中央社フォーカス台湾 2019/09/18 15:29
日本人官吏の邸宅だった新港教会会館=劉櫂豪服務処提供